1960's
マラソンシューズ「マジックランナー」発売
1960
当時マラソン大会では足にマメができるのは当然、という既成概念を打破すべく「マメの出来ないシューズ」の開発に挑戦した。
マメのできる原因は足と地面との衝撃による熱が主なため、自動車の水冷式エンジンにヒントを得て、靴底に水を入れたシューズで試験走行したが、靴重量と足がふやけて失敗。次にバイクの空冷式エンジンに着目し、靴のなかの空気を循環させる「エアーベントシステム」を取り入れ具現化したシューズ「マジックランナー」を制作。靴の爪先とサイドに穴を開け、「ふいご原理」で着地時に熱を排出することが可能となり、マメの発生を最小限に抑えることに成功した。空気の吸排気をスムーズに行うため、ソールの土踏まずの部分が大きく反った抉りが特徴。
君原健二選手(1968年国際大会のマラソンで銀メダルを獲得)が愛用したのも「マジックランナー」であり、マラソンランナーから長く愛されるロングラン商品となった。
世界進出のため、競技用シューズを幅広く展開
1964
マラソン、レスリング等の他に体操シューズ、サッカースパイク、フェンシングシューズ、バレーボールなど多くのカテゴリーの競技用スポーツシューズを開発し、多くのアスリートが活躍した。また、オニツカのマラソンシューズを着用し、イギリスのベイジル・ヒートリー(1964年の国際大会マラソンで銀メダル)、日本の円谷幸吉(1964年の国際大会マラソンで銅メダル)が活躍した。
6人制対応バレーボールシューズ「ローテーション6」発売
1964
オニツカは 1958年より「国際6人制バレーボールルール」に適したバレーボールシューズを発売。6人制はローテーションによってポジションが変わる全員攻撃のプレースタイルのため、「ローテーション6」と命名。踵にスポンジを装着し、衝撃緩衝とジャンプ力を助長させ、長時間プレーでも疲れにくい構造となっている。また、9人制にも対応できる「ローテーション9」も同時に発売。
クラリーノ製シューズ発売
1966
「人工皮革クラリーノ」を初めてスポーツシューズに採用した。クラリーノは耐水性に優れているが、素材の硬さからスポーツシューズへの採用が難しかった。しかし改良し、マラソンシューズ、トレーニングシューズ、ゴルフシューズなど多くのカテゴリーに採用した。
メキシコライン発表
1966
「メキシコライン」を商品に採用。オリンピックごとに新たなオニツカのオリジナルマークを発表してきたが、社内公募を経て、1966年に「メキシコライン」(現アシックスストライプ)が開発された。後にオニツカタイガー、アシックスタイガー、アシックスのシューズを象徴するデザインとなる。
陸上スパイク「ランスパーク」シリーズ発売
1966
はじめに1964年「ピン固定式陸上スパイクシューズ」を一部の選手に提供し、1966年、ランスパークシリーズを発売。 中でも日本で初めてピン取り替え式の「ランスパークDS-SP」は画期的だった。 当時は土のトラックで競技が行われていたこと、天候によってトラックのコンディションが変わるため、選手が固定ピンをヤスリで研いだり、削っていた。3種類の長さのピンに取り替えが可能な「ランスパークDS-SP」の取り替えピンは天候に影響されず、長距離、短距離、跳躍、投てきなどの他の陸上競技にも使用可能な画期的なアイデアだった。
ナイロンツイル3層材仕様、マラソンシューズを発売
1967
1954年よりスポーツシューズのアッパーにナイロン材を使用してきたが、ラバーにナイロンを貼り合わせたり、裏にキャンバス布を貼り付けたものだった。1960年後半はまだメッシュ素材がなかったため、ウレタンフォームを使って世界で初めてのナイロンツイル3層材「NYLON TWILL + FOAM + TRICOT」を開発した。通気性もよくフィット感も優れていた。トレーニングシューズ「コルテッツ」米国で発売
1969
米国市場向けの専用トレーニングシューズ。 米国では、更にクッション性のよいシューズが求められていたため、米国市場向けにトレーニングシューズ「CORTEZ」(後の「TIGER CORSAIR」)を開発した。従来のトレーニングシューズのミッドソールは「外底+ヒールウェッジ」の2層構造だったが、更にクッション性を増すため「サンドスポンジ」を加えた、「3層構造」が大きな特徴となっている。